母親の体から生まれた赤ちゃんは、おぎゃ〜と泣く事で、肺に酸素を取り入れ肺呼吸を始める。誰に教わった訳では無いのに・・・
しばらくは、泣く事で自分の存在をアピールし、ミルクをもらってお腹を満たし 泣く事でおしめを取り換えてもらう。。。
満たされない気持ちでいると、泣く事で抱っこしてもらったり あやしてもらう事をする。
言葉を知らないのだから、泣くしかないのだろうけど・・・
でも、泣く事は誰からか教えてもらった訳ではない。
そう考えると、【泣く事】は、心地よく生きるための本能なのではないだろうか??
その【ここちよく生きる為の泣く本能】をいつから恥ずかしい気持ちになり、封印するようになったのだろうか・・・?
泣いたり・大声で笑ったりする事は『カタルシス』と言って浄化される。と言われているが、泣く・笑う行為は本能のままの姿だから浄化されるのではないのかと思う。
笑いでも 愛想笑いではなく、笑いたくて笑う。笑いたくないのに笑ってしまう。。。
涙も 嘘泣きの涙ではなく、自然に出てくる涙・・・
この本能を封印しようとしてしまえば、体にいいわけがない!と思う
多かれ少なかれ 自分を演出しながら生きている社会では、この本能のままの姿をもっと大切にしてもいいではないかなぁ。。。
涙は悲しい時だけではない。努力した事が結果としてあらわれた時のうれし涙だっていい。
うれしい時・悲しい時はしばらくは流れる涙を止めようとせずに、思いっきり泣いてみてはいかがですか??
◆みなとみらい労研会
6月16日(月) 19:00〜
塗り絵セラピーを開催いたします。
ご興味のある方は下記のアドレスにまでご連絡ください。
E−MAIL:minatomirai-roukenkai@ymail.plala.or.jp
(株)労研 産業カウンセリン部 大橋 桐子
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